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沿革
日本手芸普及協会のあゆみ
| 1969 | 5年の実績が実り財団法人認可される。 ヴォーグ手芸コンサルタント協会改め文部省の命名で現協会設立。記念式典披露パーティー、東京都内にて挙行(7/14)。 |
| 1970 | 古澤会長叙勲。手芸ギャラリー開設。 竣工「ヴォーグビル」に本部移転。同ビルに「手芸ギャラリー」開設(翌3/3)。 古澤会長、勲5等瑞宝章受賞(11/3)。 |
| 1971 | 中高校の先生方に初の手芸研修会 東京にて中・高校家庭科指導者に当会理事がかぎ針編みを、以後開催地を広げ各種手芸指導。96年まで継続。 |
| 1972 | 会発展にご尽力の古澤初代会長逝去。 同会長の訃報、手芸界に衝撃(8/25)。 会報『手芸レポート』を7月号より『アムウ』と改題し誌面も刷新。 |
| 1973 | 日本刺繍の特別研修会を開催。 日本刺繍の第一人者斎藤磐先生を迎え、初の研修会に58名が参加。 第5回「編物手芸海外視察団」中南米へ。 |
| 1974 | 二代目会長に市田和子先生公式に就任。 設立5周年式典(ヒルトンホテル)にて市田会長、田村副会長の就任披露(5/23) 「刺しゅう講師養成講座」がスタート。 |
| 1975 | 海外に目を向けた展覧会活発。 世界手芸の旅シリーズ「メキシコの刺繍」「ギリシャ刺繍」「ルーマニア刺繍」発行にあわせ、同作品展の開催活発に行う。 |
| 1976 | 「世界の編物手芸フェア」で成果。 編物手芸界挙げての大イベント(東京・名古屋・大阪)に参画し会の結束力を発揮。 西洋服飾史の飯塚信雄先生講演会全国各地で。 |
| 1977 | 「手織り」「レザークラフト」を採用。 「手織り」113名「レザークラフト」209名で講師養成講座をスタート。のちの5部門制移行へのきっかけとなる。 |
| 1978 | 「日本編物手芸展」いよいよ活況。 年々増加する同コンクールの応募作品が第8回で総数6315点に達し、水準もアップ。 「マクラメ」講師、指導員講座開講。 |
| 1979 | 設立10周年を契機に新組織に切替え。 手あみ、レース、刺しゅう部門に加え、手織り、レザークラフトの5部門制となる。 ニューオータニで記念式典(4/20) |
| 1980 | 「くらしを楽しむ手芸の展覧会'80」 事業活動のPRと一般へのアプローチとして同展を大丸東京店で実施。5部門の作品展示、レッスン、即売会。86年まで継続。 |
| 1981 | 各部門の活動、積極的に展開。 5部門制に切替えてからそれぞれの活動は盛んで会員の意欲と意識を高める。 「'81グランドキャンペーン」に積極協力。 |
| 1982 | 手芸人口の拡大をめざし「手芸講座」 楽しみながら三技法がマスターできる一般愛好者向けの「手芸講座」を開発。「本科」コース発表、翌秋「高等科」テキスト完成。 |
| 1983 | 「手芸講座」の普及促進に全力投球。 開催教室200、参加者3000名を目標に会員に積極的な開催を促す。 支部の春研「受講料徴収」で独立採算制。 |
| 1984 | 設立15周年を迎え大阪で記念式典。 記念事業のひとつとして、香野和美先生の「デザイン連続講座」(6ヶ月)実施 「日本創作編物手芸コンクール」と改称。 |
| 1985 | コンクールで手づくりの底辺を拡大。 第1回「母と子の絵とセーターコンクール」に積極協力。第15会「日本創作編物手芸コンクール」は中高校生を対象に募集。 |
| 1986 | パッチワーク・キルトを採り入れる。 刺しゅう指導員・師範対象にパッチワーク講師資格取得のための7ヶ月の講座を東京・大阪で開催。主任講師は野原三輝先生。 |
| 1987 | 田村彰三副会長が新会長に就任.。 一般募集の第1次「パッチワークキルト講師養成講座」に146人が参加。 第1回「アメリカンキルトツアー」実施。 |
| 1988 | 20周年記念事業を多彩に展開。 創作手芸店゛花゛、キルトショー、フォーラム。式典、パーティは帝国ホテルで(5/30) 市田名誉会長「勲五等宝冠賞」受賞。 |
| 1989 | 「生涯学習」をテーマに事業展開。 第1回生涯学習フェスティバル「まなびピア'89 in CHIBA」に大々的に参加。 2年に1度の「キルト日本展」スタート。 パッチワーク・キルト部門発足。 第1次パッチワーク・キルト指導員講座。 田村会長、瀬戸理事長、社会教育功労者表彰。 |
| 1990 | キルト関連の活動盛ん。 第4次のパッチワーク・キルト講師養成講座に367名の受講者。学習会スタート。4回目のアメリカンキルトツアーに31名参加。 第2回「まなびピア」(京都)で「中学生に巧みな手を育てよう」のシンポジウム。 田村会長「勲五等瑞宝章」受章。 |
| 1991 | マイケル・ジェームス氏を招聘。 キルト・アーティストとして世界に名高い同氏を招き、東京と大阪でワークショップ(60名参加)とレクチャー(135名参加)。 前年発表された「魔法の一本針」の普及活動を積極的に展開。 手あみセミプロ&エンジョイコース発表。 川北博先生が新会長に就任。 |
| 1992 | 各種委員会を組織し、事業の活性化。 財団活性化提案委員会、学校週五日制委員会、設立25周年記念イベント提案委員会などが組織され、事業の効果的な展開、円滑な運営を図る。 「まなびピア'92inみやぎ」の事前イベントに「東北6県あみのの&しゅげいフェア」。 |
| 1993 | 手づくりの生涯学習普及に力を注ぐ。 「まなびピア'93in愛知」で会場にはじめてデパート使用。ビフォアイベント「一万人体験会」を愛知、三重、岐阜で実施。 アメリカからシェリル・トウストラット氏、再びM.ジェームス氏を招きワークショップ、レクチャー。計538名が参加。 |
| 1994 | 設立25周年を迎え新事業。 「美しい自然の中で」をテーマに渋谷東急で会員・理事の作品展。教室の活性化をめざし「アトリエ レ・マン」開講。式典、パーティを京王プラザホテルにて(5/7)。 「編物手芸コンクール・一般の部」隔年に。 阪神淡路大震災で現地会員会費無料措置。 |
| 1995 | 「生涯学習推進部会」の導入進める。 会員の活動の場の拡大に"生涯学習"に焦点を絞りその有効な導入を進めるため設立準備委員会を組織。 リサ・ネイギン、ジニー・バイヤー、マイケル・ジェームスを招聘(計585名参加)。 川北博会長「勳三等旭日中授章」受賞。 鈴木陽子副会長が新会長に就任。勲五等瑞宝章受賞。 「テディベアを作る1日体験会」を開催。 |
| 1996 | "生涯学習"は4分野に決める。 「生涯学習推進部会」、4分野(手あみ、刺しゅう、パッチワーク・キルト、押花)で第一次の会員を募集することが決まる。 レース専門講座(6コース)東京、大阪で開講。海外講師招聘はテレーザ・メイ氏。 |
| 1997 | 「キルト日本展」海外からも募集。 第5回から国際コンクールとして海外にも作品募集。応募総数947点のうち海外は231点。グランプリはドイツのウルスラ・ラウチさん。 海外講師招聘はオッペンハイマー女史。 内戦で混乱するサラエボに「愛のひざかけ運動」。手あみのモチーフ2290点を寄贈。 |
| 1998 | 一大イベント「国際キルト博」開催。 キルト部門発足10周年、協会設立30周年を記念して「国際キルト博'98 in Japan」を東京国際フォーラムで開催(6/17~20)。「ジェームス・コレクション」「新作日本のキルトアーティスト展」など7つの分野で展開。10万余の来場者で日本のキルト史に金字塔。 |
| 1999 | 創立30周年 記念史誌を発行。 帝国ホテルにて30周年記念パーティーを行う。 新作「日本のキルトアーティスト展」を開催。7会場で106,882名を動員。 尾上雅野副会長が新会長に就任。 |
| 2000 | 生涯学習ベーシックコーステキスト発表セミナー。 手編み部門、刺しゅう部門、押し花部門で計9会場・486名を集め発表セミナーを開催。 「キルトで綴るヒロシマ バーバラ・モールと広島のキルターたち」「ボルティモア・アルバムキルト展」を開催。 尾上会長「勳五等瑞宝章」 |
| 2001 | キルトリーダーズを発足。 全国14地域でパッチワークキルトの会員組織「キルトリーダーズ」を発足。地域活動に力を入れる。 久家道子副会長が新会長に就任。 |
| 2002 | ペイント部門導入。 ペイント部門特別審査を行い、受験者数1,983名、入会申込者1113名。 「新作・和のキルト100人展」日本橋三越本店をはじめ日本国内11会場、アメリカ・AQSナッシュビルで巡回展を行い、計276,054名を動員する。 |
| 2003 | ペイント部門発足。 1,874名の会員を迎え、ペイント部門を発足。全国22会場でカリキュラム発表、ガイダンスセミナーを実施。 久家会長「旭日双光章」受賞。 |
| 2004 | 「パッチワーク・キルト部門」事業の前面見直しと展開。 指導員養成講座とカリキュラムの全面改訂と本科・高等科カリキュラムの見直しと、講師科カリキュラムの改訂と及びテキストの発行を行う。 |
| 2005 | ヒーリング・ハートキルトを開催。 各地域で一般市民の方にも参加していただき、癒しのキルトを病院に寄贈するイベントを全国7会場で実施。 深山実枝子副会長が新会長に就任。 |